性依存と女性嫌悪の日々

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聖人ジャン・バルジャン

彼について気になっているのは、司教様と出会った後の心の変化について。


映画などでは直ぐに改心して別の生き方をはじめたように描いてるけど、人間がそんなに簡単に変わるわけ無いから。


心を凍り付かせ、乾かせて、その結果、頑なに心を閉じて、


何かを感じること、思うこと、希望することなどを捨ててしまわないと生きることはできない日々だった。


人の愛や優しさや親切なんてものを、信じてみようとすることさえ不可能だった。


そして彼に習慣づいたのは、憎悪と人間不信、反射的な暴力、法の名の元に裁きを下す世界と社会への断罪。


そして司教に出会って、混乱した心をどのように整理して落ち着かせて来たのか?


彼の心の葛藤、そしてどのように自分が納得のする考え方を得て実行して来たのか?


世の中を呪い、この世界に納得出来ないと、何かすがりつくものを得ようと必死になって固執するのが人間というものだろう。


法が絶対の正義というジャベールなんか典型的で、それが崩れた瞬間に、葛藤から心を整理して納得する事が出来ずに自殺を選んでいる。

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