性依存と女性嫌悪の日々

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19時17分

天皇陛下について2 


敗戦国の戦争責任者というのは色々と非難される。大抵は国民に殺されるから海外へ逃亡したりする。


第二次世界大戦が終わって、天皇陛下(昭和天皇)がしたのはボロボロに傷ついた国民を励ます為に各地を廻った。


天皇陛下が護衛を頼んだ訳では無いだろうけど、一人で行かせる訳にも行かないので少人数だけで廻った。


殺そうとする人はもちろん、石を投げようとする人もいなかったそうだ。


震災後に天皇陛下は被災地をまわっている。これは被災者の方々がどれだけ勇気づけられたかと体験談を書いてる人も多い。ついでに、政治家やマスコミがどんな対応をしたのかという体験談も多い。殆どが邪魔で迷惑だと。


昭和天皇は残念ながら病に倒れて、沖縄には行けなかった。


血を吐くほどに体調が悪い時に見舞った人が言うには、沖縄に行けなかった事を嘆いていたそうだ。そして、亡くなる一週間程前に見舞った人が言うには、身体ボロボロで語ったのは


『稲は育っているか?国民は飢えて無いか?』


という内容だった。死の間際まで国民の事を心配していた。


他にも学校で全く習わない多くのエピソードが有るけど、どのエピソードでも天皇陛下を悪く言う気にはなれない。


そんな天皇陛下に対して侮辱し、いらないという反天連という奴らの毎年の行為を見ると、思い出す。


朝鮮人も多数含まれてるこいつら如きが侮辱して良い相手ではない。


それに、日本国憲法でも


天皇陛下=国体=日本そのもの


となっているのだから、気に入らないなら出て行けば良いだけ。全く筋が通ってないし、頭がおかしい。

聖人ジャン・バルジャン

彼について気になっているのは、司教様と出会った後の心の変化について。


映画などでは直ぐに改心して別の生き方をはじめたように描いてるけど、人間がそんなに簡単に変わるわけ無いから。


心を凍り付かせ、乾かせて、その結果、頑なに心を閉じて、


何かを感じること、思うこと、希望することなどを捨ててしまわないと生きることはできない日々だった。


人の愛や優しさや親切なんてものを、信じてみようとすることさえ不可能だった。


そして彼に習慣づいたのは、憎悪と人間不信、反射的な暴力、法の名の元に裁きを下す世界と社会への断罪。


そして司教に出会って、混乱した心をどのように整理して落ち着かせて来たのか?


彼の心の葛藤、そしてどのように自分が納得のする考え方を得て実行して来たのか?


世の中を呪い、この世界に納得出来ないと、何かすがりつくものを得ようと必死になって固執するのが人間というものだろう。


法が絶対の正義というジャベールなんか典型的で、それが崩れた瞬間に、葛藤から心を整理して納得する事が出来ずに自殺を選んでいる。

女の言う相談

今から延々と愚痴るので、適当なタイミングで適切な相槌をするようにと強要するのが女の言う相談だ。


本当に相談にのってアドバイスすると、嫌われる。


だから、相談という言葉など使わずに広辞苑に載っている正しい日本語を使えとよく思う。