キリスト教と同性愛
キリスト教は永遠不滅の絶対的な魂が有ると考えてるそうだ。
個人が思うのは自由だけど、証明出来ない事を強要するなら
頭のおかしい精神病患者と変わらないんだけどな。
そして、LGBTは罪と考えてる人が多くて
罪というのも、何が罪なのか具体的な説明が無い。
それに、神様すら証明出来ていない。
で、永遠不滅の魂が有るのなら、自分よりも遥かに優秀な魂を持ったLGBTがいないとどうして言えるのだろうか?
罪だから?罪ってなんだよ?
愛と許しを説くイエス・キリストは、そんなにも浅ましい方なのか?
正義に絶対は無くて、どの角度から見てるかを示しているだけに過ぎない。
だから、自分や相手を傷つけているかどうか、そして出来る限り傷つけ合わない付き合い方をする方が押し付けるよりも良いと思う。
どうしても一緒にいる必要も無いだろうし。
宗教は極端だけど、価値観の合わない人と話すと疲れる。
例えば、金を稼いで妻子を養い一軒家を買うとか昔の生活様式に固執してる人っていまだにいてる。
暇があれば少しでも多く金を稼ぐべきだとか、金を基準に物事を考えて、収入を基準として人の優劣をつけてくる人は多い。
それは、自分の浅はかさを提示してるだけに過ぎないのにな。
私はこのように考えている、ただそれだけで、他の人がどのように捉えても私には関係の無い事だ。
義務教育では、自分の思いを押し殺して周りに合わせるように強要されるから、
他人と違いが有ると、劣等感に悩む人が多くて、そういう人と話しても楽しくないから鬱陶しい。
人それぞれ全く同じな訳が無くて、全員が変人であるというのが正しいと思う。
他人に期待するから苦しくなっていた。
他人の私への評価など全く気にする必要無いのにな。