学校というのは、その他大勢を量産する洗脳機関
教職員の暴力などがニュースになっていて、幾つかみてました。
小学生の時から思っていて、いまだに納得がいってないんですが、
なんで単なる公務員が出した宿題をしなければならないのでしょうか?
私は、どちらかと言えば勉強出来る方だったので、授業含めて馬鹿にしてるのか?とよく思っていました。
父だけでなく、教職員からの強要にずっと不快だったから、他人に強要される事が苦痛で過剰反応してしまうようになっています。
過剰反応、例えば警察に止まりなさいと言われたら、なんでお前に言われなあかんねんって真っ先に思っていました。
止まって下さいならともかく。
最近は殆ど無いですが、難波や梅田を歩いてるとキャッチセールスに会うことがありました。
話しかけられると、真っ先に『どけっ』て言ってた。私の行く手を遮るなと。
大抵の場合、金儲けの為に時間を奪おうとしてるだけだから。
キャッチセールスで、○○してるんですけど…みたいなこと言われると『興味ない』と言い、どんな事に興味有るのか聞かれると『もう言っていいかな?』とか言ってました。
お店の店員の接客も嫌いで、アメ村行くとタメ口で
『何探してんの?』とか言われると、イラってなってました。敬語使えやと。
もう少しましなブランド店で、『よろしければ〜』と言われると『よろしく無いんで』と返したりも。
歳と共に、あからさまな態度は取らなくなりましたが
何であれタメ口や興味の無い営業に物凄く苛々していました。
思い返すと、父や小中学生の頃の教職員のお陰というのが強いです。
特に小学校の夏休みの宿題、日記、課題図書からの感想文、遠足や修学旅行や文化祭や運動会などのイベントが大嫌いでした。
児童心理学に疎く、教育についてよくわかっていない単なる公務員如きに強要されるのが嫌いでした。
虐待されていた私は、常に救いを求めていたけど、教職員は普通に大学へ行き公務員になれる事が出来る家庭環境を前提にしていたから全く役に立たなくて不快でした。
教職員は、人様にものを教えられるほどに成熟していないと思っていました。
最近のニュースを見ていると正しいでしょう。
学校が好きだという人とも、基本的に話しが合わないです。
学校という場所にいる事に違和感がある人こそ正常だと思います。
現状叶いそうに無いけれど、子供が学校に行きたくないと言えば強要だけはしないでおこうと思っています。
行きたければ行けばいいし、行きたくないなら行かなくても構わない。ただ、何かはするように。何をすれば良いのかわからなければ探すという事でもいい。
親として、大人として子供にしてあげられる事は、選択肢を増やしてあげる事だけなので。
数ある選択肢の中で、それを本人が選ぶように。
○○してはならない、○○しなければならないと選択肢をどんどん狭めて追い込むから、子供の精神が病んでいくのです。
これら全て、私がかつては
されて嫌だった事と、して欲しかった事です。
今までに、精神の病んでる人と関わって来たけど
真面目な人ほど
○○してはならない、○○しなければならない
という考えに縛られています。子供の時に、親や周りの大人から何度も繰り返し言われて来たのでしょう。
刃物使う時や火を使う時は注意するようにとかならともかく、当時の教えは大人になった今は役立たない事の方が多いんですが
縛られて身動き出来なくて苦しんでいます。
大人が子供を苦しめている、親が子供に制限つけて自由を奪っている、学校という場所が才能を圧し殺す洗脳機関になっている、
本当に馬鹿げています。