考察と性差
苦しみの考察
頻繁にしてるけど、今日もやってみた。
何故こんなにも苦しいのか原因を探った。
欲があり、欲しいものが手に入らないから苦しい。そして、欲しいものを手に入れる為の行動に別の苦しみが付属してくる。例えば、お金を稼ぐ為の仕事につくために面接で「お前いらない」と自尊心を破壊される事とか。
彼女を作ろうとして、誘っても必ず断られるという過程を経なければならない事とか。
欲があり、欲しいものが手に入らないのが苦しみなら
そもそも、何故欲しいのかを考察した。
多くの場合、生まれもっての環境や親から受けた仕打ちが原因となっている。
虐待されていたので、存在を全否定されて来たから、肯定される存在を求めてるとか。
そして、それらは本当に必要なのか必要だと思い込んでいるだけなのか考察した。
他のものや行為では駄目なのかを考察した。
結局は、欲しいものがあるから苦しいので、その欲しいという感覚を無くせないかと考察した。
認められたい、褒められたい、尊敬されたい、必要だと求められたいなど。
だから、お前なんかいらないという態度をとられると
死にたくなるほどの苦しみを感じる。
この感覚は、唯一無二の親に捨てられた感覚と同等だと思う。
だから、ほんのちょっとした事、
例えば、面接での不採用や失恋などで寝込んだりしていた。
欲しいのは、物でも人にこう扱われたいとか思い通りに扱いたいとかではなくて
認められている感覚、褒められてる感覚、尊敬されてる感覚、必要だと求められている感覚であり、全てを引っくるめて納得出来た状態だ。
感覚なので、結局は人と接するというのは外部的なアプローチとして有効だけれど、他の苦しみが付随してくるのなら苦しみが増すだけな可能性も大きい。
この求めている感覚を潜在意識に浸透させるようにしていこうと思う。
このように考察していくと根本的な原因がわかると人に話した事あるけど、
難しいと実践しない人ばかりだ。
男は難しいから自分には出来ないと言い、
女は途中で思考を停止させて、別の事を持ち出して感情的になる。
例えば、「どうしたら良いの?」と言い出してこちらを悪者にする。
何かをしろとか、何かをするなと強要してるのではなく、苦しみの根本的な原因を突き止めるには考察が必要だと言ってるだけなのにな。
勝手に判断して、勝手に感情的に怒り、勝手に結論を出して、勝手に離れて行く。
女と理論的に話す事は不可能である。
全く違う生き物だから、同じにするのではなく、違いを認識して、それぞれ得意な分野でお互いを助け合えば良いと思うんだけど
何が得意で何が苦手なのかを見極めようとする事を拒む人が多い。
例えば、誰かを好きとか嫌い、嫉妬や怒りについて何故か違うと否定して認めない。
それらに加えて、今の社会制度が性差を無視し過ぎている。
個人差はあるけれど女は、男よりも圧倒的に
生命力、共感力、コミュニケーション能力、場を和ませる配慮、誘いをやんわりと断る、などは優れている。
男である私が幾ら努力しても、絶対に叶わない。
個人差はあるけれど男は、女よりも圧倒的に
感情を入れずに客観的に物事を見る力、物事を整理して理路整然と言葉で説明する力が優れている。
だから、女親は子供に衣食住と人付き合い(挨拶やマナーなど)を教えるけど、子供の立場になって精神状態を考慮した教育が苦手だ。
だから、母子家庭育ちの娘は精神が不安定になりやすい。
男親は、精神の教育に向いているけど他の事は女と比べると疎かになりやすい。
様々な違いがあるので、得意な分野で助け合える関係を築きたい。
なのに、違いを理解しようとしない男女が増えているように思う。
認知や行動に性差はあるのか 科学的研究を批判的に読み解く [ ポーラ・J.カプラン ] |