最後は死ぬだけ
例えば旅行が好きなら、世界中のあらゆる所へ行く。
そして、行き尽くしたら、旅行はもういいかなってなるだろう。
音楽が好きなら、世界中のありとあらゆる音楽を聴き、楽器も習って様々な曲を演奏する。そしていろんな楽器に手を出して廻って、最後は、もう音楽はいいかなってなる筈だ。
対象が恋愛でも、グルメでも、何かを作るのでも、何かを見るのでも、やり尽くしたらもういいやってなる。
それを繰り返して、何度も何度も繰り返していく。
料理を食べるのをやり尽くしたら、次は作りはじめて、次はレストラン経営に向かって、次はお金儲けに走り、次は金を使う事に走り、その金で何かを買って、その物を使いたくなり、一緒に使う人と関わりたくなり、田舎で都会で海外でとなり、結局飽きてまた違う事をしたくなる。
そして、最後の最後には
もう人間はいいかなって絶対になる筈だ。
それならば、はじめから人間はもういいやってなる状態を目指す方がいいだろう。
どこそこの料理が食べたいからと得る努力よりも、キリが無いし苦痛も付き纏うし、最後には飽きて嫌になるのだから、
我慢ではなく、その店の料理なんて食べなくても良いかなと本気で思えたなら、その方が絶対に楽な筈だ。
わざわざ廻り道する必要も無い。