23時49分
性依存と過食
身長が168cmぐらいで体重が
16歳の時に68Kg、
17歳の時に62Kg、
18歳の時に57Kg、
その後22歳ぐらいまでは57Kg〜60Kgぐらいだった。
あまりご飯を食べずに煙草ばかり吸っていた。
22歳からは、よく外食するようになり
27歳で72Kg、32歳で82Kg、
去年の年末には、90Kgとなっていた。
太った理由は、過食していたから。
満たされない思いを過食で誤魔化そうとしていたから。結局は、誤魔化しきれずに余計な苦しみを抱えただけだった。
他には買物やパチンコやスロットで誤魔化そうとした。買物は高価なブランドものではなく、安い物を大量に買ったりしていた。例えば、100円ぐらいのCDを数百枚とか。
パチンコやスロットは、パチンコ店でバイトしていたので、周りがギャンブル好きばかりだったのもある。ギャンブルは、全く楽しめなくて、夢中になれる事は無かった。
買物やギャンブルには依存せずに、直ぐにやめた。
苦しみの主な原因は、
1、セックスしたい時に出来ない
2、女性を誘って断られた時に、精神の乱れが半端無くて、めちゃめちゃ苛々して、動悸や吐き気、その後は抑鬱状態で寝込む程だった。
精神が乱れて、苦しくて、酒を飲んでよく吐いていた。とにかく量が多くて安い赤ワインや白ワイン、焼酎、ウイスキーとかをよく飲んでいた。
酒に過食、そして抗鬱薬に抗不安薬に精神安定剤なども飲んだりしていた。
薬で余計に過食が進んだ。
精神科医に相談すると、胃薬を処方された。
診察の度に、医師を殺したくて仕方なかった。ずっと苛々していた。
知りたいのは、
1、セックスしたい時に出来る方法
2、女性を誘って断られた時に、精神が乱れない方法。
3、セックスしたく無くなる方法
この3つのどれかであり、それ以外は役に立たない。
性依存の前には、PTSDがあった。PTSDの原因は父からの虐待だ。
虐待で一番辛いのは暴力だと思われがちだけれど、成長過程の潜在意識に、「お前は必要無い」という意識を刷り込まれる事が一番辛いのだ。
マザー・テレサの言葉、
『この世の最大の不幸は、貧しさや病ではありません。誰からも自分は必要とされていないと感じることです。』
というのは、絶対に正しいと思った。
だから受け入れて欲しくて、断られると、精神の乱れが凄かった。
外部に向ければ犯罪者として捕まるだろうし、だからといって内部に向ければ死にたくて仕方なかった。
凶悪な殺人犯に虐待被害者が多いのは、受け入れてもらいたい気持ちと社会での居場所のバランスが悪いからだろう。
秋葉原殺傷事件の加藤被告は、このやりきれない思いを外部に向けた典型的な例だろう。
殺人が良くないのは当然だとしても、満たされない思いや苛々を煽るのも良くないだろう。
酒や薬や過食で無理やり誤魔化そうとして、どんどん体調が悪くなった。
女性に断られたぐらいで、こんなにも苦しくなる理由をずっと考えていた。
平気な奴と何が違うのかを。
これは虐待を受けた事による精神の違いで、例えるなら
両親に捨てられた子供の心境と同等だという事がわかった。
調べていくなかで、一番ちかいと思ったのは、戦場で目の前で両親を殺された人の精神状態だった。
過食やPTSDは理解されても、
「1、セックスしたい時に出来ない
2、女性を誘って断られた時に、精神の乱れが半端無くて、めちゃめちゃ苛々して、動悸や吐き気、その後は抑鬱状態で寝込む程だった。」
これの、特に2が全く理解されなくて、みんなそうだとか馬鹿にされる事が、更なる体調悪化に繋がった。
女性に理解された事は一度も無い。
今現在、父に何かをしてもらいたいとか全く無いのに、親切面して親との関係ばかり言ってくる女はいてた。
他の男とセックスしながら、私とはしないのなら、何を言われたところで気分が悪くなり体調が悪化するだけだから。
「1、セックスしたい時に出来る方法
2、女性を誘って断られた時に、精神が乱れない方法。
3、セックスしたく無くなる方法」
この3つで、1は誘い続ければ出来る可能性はあるけれど苦しみは無くならないと思う。
鍵英之ってナンパ師がいてる。彼は収入よりも、セックスした女性の人数を追及して400人ぐらいの女性とセックスして、開業医の娘と結婚した。
でも、躁鬱病に苦しんでいるようなので満たされてはいないと思う。
普通の神経なら、30〜50人とセックスすれば何か違う方向へと進むと思う。彼は母から「不細工だから勉強ぐらい出来るようにならないと」とありのままの自分ではなく、勉強ぐらい出来ないと認めてもらえないという条件をつけられて育った事から、
アダルトチルドレンとしての虚しさを抱えていて、人数で虚しさを埋めようとして、埋めきれていないのだと思う。
だから、1〜3全てに取り組んでいくつもりだけど、特に重視するのは3のセックスしたく無くなる方法だ。
欲しいものが手に入らないと苦しくなるけど、欲しくないものが手に入らなくても苦しくはならないし、手に入っても嬉しくない。
執着せずにどっちでも良いというのが、苦しみから離れて楽な状態だろうから。