性依存と女性嫌悪の日々

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自殺願望が相変わらず強い

自殺したいと言うと、止めるのが格好良いと思っている変人から強く自称説教(実際は喚いてるだけ)をされる事が多々ある。


思い留まって感謝されたいという承認欲求を満たすのが目的なので、その後に自殺志願者がどのような苦しみを感じようが全く気にされない。


例えば、秋葉原殺傷事件の加藤被告は、自殺しようとして警察官に止められている。警察官が適当な判断で止めてさえいなければ、世間を騒がす殺傷事件は起きなかったし彼自身も刑務所に入って被害者に責められる事もなく、弟も自殺していない可能性がある。


要するに、自殺志願者を止める事は正しい事とは限らないし、人と言うのは自殺したいという考えがあるものだと言う事だ。


止める人にとって、志願者の人生なんてどうでもいいのだ。


旅行に行くと、必ず最後は我が家の居心地の良さを確認する。


ある意味、外に出かけるのは、家の良さを確認する為とも言える。


同じように、本来の家(あの世、死後の世界など)から人間をする為のこの世に来てるのだから


死んだら、やっぱりこの世界(あの世、死後の世界)が一番だ。人間なんてもう充分だと思うような気がしてならない。


人生なんて、ほんの束の間に海外旅行する程度だと思う。


それなりに楽しく、それなりに不便があり、それなりに苦しくて、最悪死ぬ可能性もあったりして、結局は家に帰って我が家が一番だと思うだけ。


人生に意味など無く、ただそれをしてみたかっただけで、したからといって何があるわけでも無い。また、しなかったからといって何があるわけでも無い。


結局は、家(あの世、死後の世界)に帰るだけ。


輪廻転生で人生を何度も繰り返すのなら、老人になって体が思うように動かない経験などせずに


30歳ぐらいで死んで、再び子供から青年を経験して、再び死んで繰り返す方が有意義かもしれない。


どんな人生を送ろうが、絶対に満足せずに何か別のものを追いかけるだけ。その何かを常に追い求めるのが人生であり、もう充分に満足したという状態にはならないから


人間というのはこの程度、人生というのはこの程度、最後は得たもの全てを捨てて家に帰るだけ。


結局はその程度でしかないのに、


あれもこれもしたい、あれやこれは嫌だ、などいちいち価値をつけて文句を言うから苦しくなる。そして、その苦しみが人生となる。


まぁ、人間というのはそういうものだ。


ある意味私は、人生に失望しているから、色んな事がどうでも良くなってきている。


足掻いたところで、むきになったところで、人に好かれたところで、嫌われたところで、金があろうとなかろうと、結局最後は死んで終わるだけだから。


で、死ぬまで何しようかなって考えてる。


今までのように藻掻き苦しむのは嫌なので、楽しいと錯覚出来そうな事だけをしていたい。


得たところで違うものが欲しくなるという人間の性質が有るので、絶対に満足出来ないから、楽しいと感じれたところで直ぐに過ぎ去るから、楽しいと思える錯覚が続きそうなのが無いかなって思う。


やりたく無いリストを幾つか上げると、


煙草、酒、ギャンブル、麻薬や精神薬等の薬物、私の価値観と違い過ぎる生物と関わる事(朝鮮人など)、女を誘い口説く事は取り敢えずやりたくない。

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