社会という当たり前なでたらめ行為
社会というのは、でたらめな個人が集まって出来ただけで倫理的に優れている訳ではない。
倫理観は勿論、各々の利益至上主義で、言ってしまえば、金さえ儲かれば他の人達はどうでもいいって感覚が強い。
これは、政治家は勿論、大企業から中小企業など殆ど全てがそうで、利益をもたらすかどうかを基準に価値観が定まっている。
だから、利益をもたらさない人達はいないものとして扱われるか利用されるだけ。
だから、金持ちになりたいとか社会で成功したいというのは、倫理観の狂ったでたらめな個人が集まっている社会で、金を集める競争をして勝たなければならない。
ここで本気で思うのは、それって楽しいのか?という事。
社会での競争に参加して、精神病んで唯一の支えが精神科で処方される薬になってる人が大勢いてる。
社会での競争に参加して、心身壊れて自殺してる人もいてる。
これらは、競争に勝ち成功者になった人よりも遥かに多いだろう。
病んでる人は生きるのに向いていないと言うけど、今の社会で洗脳された価値観に沿って生きるのに向いていないだけだ。
産まれて来て、今現在生きている事に向き不向きなど無い。
ではどうすれば良いのか?とずっと考えていた。
社会との接点を出来る限り少なくして、他者と比べた競争では無く、個人がやってて楽しめる事を追及していくのが良い。
社会からの洗脳が強くて、人と比べて、人よりも優れていなければならなくて、人よりも苦手な事には努力不足で駄目だと思ってしまう。
その比較して優劣をつけるという事が、社会からの洗脳である。
自分自身で、他者との苦痛にまみれた競争では無く、単純に楽しめる事が人生の成功者であると認識を、まずは変えて固定化させる必要がある。