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毎日が退屈でつまらない。
こう言うと、偉そうに上から目線で自己責任論を展開してくる奴がいてる。
彼らは本当に頭が弱い。
弱い理由は、自分が恵まれてる環境で育って来ている事を自覚出来ていないから、相手の環境を考慮出来ずに価値観の押し付けをしているだけだ。
誰もが、まともな家庭で当たり前に学校で学べる環境で育っている訳ではない。
この国に義務教育があるけど、私は父の気分次第で監禁されたり軟禁されたりしていた。
ろくに飯が食えず、包丁で切りつけられたり熱湯をかけられたり、毎日のように暴言と暴力を奮われていた。
私は常に脅えて震えている状態で過ごしていた。
家に生活費を入れずに、金が無いのを3才ぐらいから私のせいだと言われ続けた。
本当はもっと前から言われていたのだろうけど、3歳ぐらいからの記憶しかないから。
大学はもちろん、高校すらまともに通えていない。
学歴をよく馬鹿にされるが、学力を私よりも頭の良い人から馬鹿にされた事は無い。
そんなに費用のかからない全国模試などでは、偏差値70ぐらいはあったし、疑問があれば常に本で調べていた。
でも
学費、生活費、勉強時間、虐待によるPTSDの治療、
これら全てを同時に捻出する方法がわからなかった。
夜は悪夢で自分の叫び声で目が覚めて、全く疲れが取れないまま仕事に行き、日々体調が悪くなった。
仕事に疲れて帰ると父の暴言と暴力があり、そして疲れが取れずに再び仕事で、生きてる理由に疑問ばかり募っていた。
未成年が家を出ようとしても、制度や仕組みなどの知識が殆ど無いし、
金の問題があり、部屋を借りるにも保証人がいるし、働く職場で親の許可を求められる。
嘘をついたり犯罪でもしない限りは、親の権利だけを認める法律となっている。
今現在なら、虐待されてる子供を一時的に保護しようと周囲の大人が飲食店でご飯を食べさせていても、親が誘拐されたと通報したら、罰せられるような法律となっている。
周囲の大人が警察や児童相談所に連絡すると、結局は親元に返されるだけだ。
実際に、保護した子供を行政が親元に返して、翌日に死体になって発見された事件がこの日本で起きている。
だから子供は、親を刺激しないように感情を殺すようになる。
何度か警察を呼んだ事があるけど、彼らは虐待を親子喧嘩で処理する。
物理的に重体にでもならないと、何もしない。
法律の問題と、公務員になれるような環境育ちに虐待被害が理解出来無いのだ。
20歳を越える頃には疲れ果てて、意欲すら無くなる。
それでも頑張って、働いて、いつか報われる筈だと思っていた。
友人を作ろうとしても環境が違い過ぎて同年代と全く話しが合わなかった。(今思えば年上と付き合えば良かった)
彼女を作ろうとしても、断られたり、交際してもふられたりで過剰に精神のダメージを負っただけだった。
精神状態は日増しに悪化していたので、体に例えたら大怪我しているのに動いているから些細な事で絶叫する程の痛みを感じていた。
そして20代半ばぐらいには、納得のいかない苛々が限界に達して
自殺と殺人ばかり考えるようになっていた。
デスファイルっていう事故や事件で亡くなった遺体を映しているビデオをよく見ていた。
後はネットで色々と検索して見ていた。
他人の死を通して、生きるっていうのがなんなのか自問自答していた。
満たされ無い思いから、
過食して体調を壊し、酒を飲んで体調を壊し、過剰に買い物して
ボロボロの精神、体調も悪くなり、経済面も悪くなった。
自殺の仕方を調べ、短時間でたくさんの人を殺せるような殺人の方法を調べていた。
自殺よりも間接自殺(死刑)の方が楽かなと思うようになった。
虐待被害の経験が無い人には、無関係な人を殺すという事が全く理解出来無いらしいけど、
例えるなら、リストラされて、恋人に振られて、人に騙されて多額の借金を背負い、事故で大怪我して、風邪引いて熱もあり、兄弟が末期の病気で余命宣告されて、両親が亡くなったというような問題が同時に発生してずっと続いてるような状態だと思う。
人を思いやるというのは、それなりに余裕が無いと出来無い事で、世の中への恨みつらみと苦しみしか無い状態では、苛々という不快感情の方が圧倒的に勝っている。
後は、殺人事件を起こすと親が社会から批難されるというのがわかっているのもあると思う。
だから、虐待被害者は自殺よりも殺人に走る。国内外問わず、凶悪な殺人犯を調べると高確率で虐待されて育っているから。
色々と自殺や殺人を調べていくなかで、結局殺人はやめる事にした。
幼い頃から暴力を受けている私は、殴られる苦しみを知っているから、どうしても抵抗があった。
自殺については、他の全ての方法が無くなってからにしようと保留にした。
まずする事は、PTSDの治療から。
心療内科や精神科に通い、どうなったかと言うと
医師を殺したくなった。
毎回苛々していた。
彼らは薬で症状を誤魔化す事を治療と言い、金を巻き上げるだけだ。
何か方法は無いかと
心理学、哲学、精神医学、認知科学、スピリチュアル、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教、その他色々とたくさんの本を読んで学んだ。
殆ど役に立たなかったけど、
ストア哲学、認知行動療法、応用心理学、ブッダの教え、瞑想なんかを自分なりにアレンジして取り入れていった。
鬱病など精神病の人達を見ると、客観的に自分や物事を見れずに主観で見てるから苦しくなっていると思った。
自分が他人にどう思われているのかという現実ではなく、自分がどう思われているのかというのを「こう思われている筈だ」というように思い込んで苦しくなっている。
だから、物事や自分の思考を出来る限り客観的に見ようと思った。
その訓練として役立つのが、瞑想とアファメーションだった。
誰か教えてくれる師匠がいる訳でも無いし、教科書も無いから
様々な本から少しずつ自分に役立ちそうなのを集めて、自分なりのテキストを作って実践して来た。
結論から言うと、不安障害、鬱病、PTSDなど殆どの精神病は良くなった。
だから、「鬱だから〜」、「病気だから〜」という言葉を頻繁に言い訳として使ってる人が好きになれない。
よくなる方法を探して実行すれば良いのに、精神科や心療内科に貢ぎ続ける事を治療を頑張ってると言う人が多いように思う。
禁煙外来も同じで、煙草を吸う理由や吸わない人は何故吸わなくても平気なのか?とか徹底的に調べるとやめる方法が見つかるし、実際に私は煙草をやめている。我慢ではなく、全く吸いたいとは思わない。
禁煙外来に貢ぐ事を治療とは言えない。
そして、再び現状と周りを見渡した。
精神状態を良くする為に多大な時間を費やしたので、歳を重ねて中年になった。
精神状態を良くする為だけに時間を使っていたので、
学歴も資格も無く、乏しい社会経歴しか無く、お金も無い。
今の既存の社会システムでは、自己責任論を展開されて、救いが無い。
今までさぼってきたと捉えられる。
その時に必要な事はして来たと私は思う。
何故なら、精神状態を良くする努力をしていなければ、人を殺していただろうから。
でも、今の社会では考慮される事は全く無い。
まともな環境で育って来た人達に苛々する事が多い。
特に金持ちと既婚者に嫉妬や妬みから怒りという不快感情になる。
育ってきた家庭環境が良くないので、まともな環境(居場所)が欲しいと常に思っているから。
最近は1日1食で、食欲をだいぶ制御出来ている。
物欲もだいぶ制御出来ている。
認められたい、褒められたい、尊敬されたい、思うように扱って欲しい、好まない言動を取られたくないなどの承認欲求と性欲が強くて、満たされ無い事に凄く苛々する。
叶えられるなら叶えたい、叶わないのなら欲を無くすようにしないと、不快感情で苦しくなる。