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野球が好きな人のトラウマ
例えば、野球が好きで子供の時に親と一緒にプロ野球中継を見てた人がいたとする。
そして、たまには球場で見ようと両親や兄弟と一緒に出かけた。
球場に向かう途中で事故に会い、両親や兄弟が全員亡くなり、自分も大怪我を負った。
だから、野球を見たり聞いたりすると苦しくなる。
実際に体験した人は殆どいないだろうけど、簡単に推測し易い事だと思う。
そんな人に、野球の話題を仕向ける人についてどう思うだろうか?
明らかに、何こいつ、頭おかしいと思うだろう。
野球にトラウマのある人が、球場や野球ファンの集う飲食店で『野球の話題はやめて』と言ったなら、それはその人がおかしいし、『お前が出て行け』と言われても仕方無いだろう。
そんな場所に、出向くのが悪い。
その人が、ブログやSNSのプロフィールに『こういう理由で事故を思い出すから、野球の話題は控えて下さい。』と書いていて、野球の話題をふる人についてどう思うだろうか?
事故で大切な両親が亡くなったなら理解されて気を使われるのに、
虐待や性依存は全く理解されないばかりか、『お前がおかしいからそうなるんだ』みたいな事は平気で言われたりする。
いったい、これらのトラウマを得た過程で何が違うと言うのだろう。
結局は、理解出来る人、理解しようとする人の数が圧倒的に少ないというのが違う。
だからこそ、中途半端な事が余計に苛立たせて悪影響になる。